普通が再定義される

いつからだろう? 去年の秋葉原加藤維新のころからか?
 世の中に急速に「普通」が再構成されてゆくのを感じる。
実感を伴うので御しがたい。イヤだけど受け入れざるを得ない。


 思えば80年代には普通は幻だと言い切れるほど希薄になってた。
コミケの1991年統制直前が、一番分子が暴れた、プラズマ寸前の気体状態。
それが90年代2000年代を通してだんだんブレというか、許容が減っていって
小泉時代に液体に相変化して、もう少しで固体に変わる気がする。
スゴイ勢いで凝集している気がする。


 認めたくないけど、今、自由はオプトインになってる。いまどき自由をオプトアウトだと言ってるのはぼくくらいのキチガイだけになった、と痛感する。


 もうちょっとで、ハバもブレもなくなるよ。
よかったね。


「誰も「戦後」を覚えていない」って本を読んで思ったけど、戦時中、そして昭和30年代あたりまでは、みんなが共通の体験を持ってて、強固な普通があった。ある基準があって、それよりも上、下なんて考え方が出来た。
ぼくたちが青春を過ごした80年代〜90年代の普通が幻だったころは、何かを比較することが出来ないから、他人に説明することもできなかった。大変だし孤独だよ。


でも昔/そしてこれからの普通のある時代は多分怠惰で楽チンだから、幸せって言えば幸せかもね。